2006.04.10 Monday
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イスラエル | 旅音
2006.04.10 Monday
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2004.09.30 Thursday
イスラエル -不可侵-
エルサレム旧市街地にはご存知の通り
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地となっている場所がある。 イスラム教の聖地“神殿の丘” テロ警戒の影響から 神殿の丘にはムスリス以外は近づけない。 外から眺めるだけである。 神々しく金色の丸い屋根が輝いていた。 数年前までは入れた。 今は入れない。 まさしく近くて遠い存在になった場所だった。 神殿の丘は 狭いイスラエルにおけるパレスチナ人とユダヤ人の関係の象徴のような場所となっている。 2004.09.30 Thursday
イスラエル -via dolorosa (ヴィアドロローサ)-
歴史あるエルサレムの中でも
もっとも有名なものの一つに ヴィアドロローサというキリストが判決を受けてから鞭打ちになり、ゴルゴダの丘へ十字架を背負って上り磔になった“悲しみの道”がある。 まさに映画『パッション』のあれである。 またその道はキリストの時代とほとんど変わっていないそうだ。 その道には“ステーション”と呼ばれるポイントが1〜14まである ---------------------------------------------------------------- station01 : イエスが死の判決を受けた場所【アントニオ要塞(総督官邸)】 station02 : イエスが鞭打ちにあった場所【エッケホモ教会】 station03 : イエスが十字架の重みに耐えかねて倒れたところ【アルメニアカトリックの小礼拝堂】 station04 : イエスが母マリアと会った場所【マリア衝動の教会】 station05 : イエスに代わってキレネ人のシモンが十字架を担がされた場所【フランシスカン礼拝堂】 station06 : ベロニカが布でイエスの顔の汗を拭った場所 station07 : イエスが再び倒れた場所【裁きの門】 station08 : イエスがエルサレムの女性にエルサレムの滅亡を予言した場所 station09 : イエスが3度目に倒れた場所【コプト教会】 station10 : イエスが上着を脱がされた場所 station11 : イエスが午前9時に十字架に釘付けされた場所【聖墳墓教会内】 station12 : イエスが午後3時に息を引き取った場所【聖墳墓教会内】 station13 : イエスの身柄が十字架から下ろされ、母マリアが受け取った場所【聖墳墓教会内】 station14 : イエスの身体が横たえられた場所 【聖墳墓教会内】 ---------------------------------------------------------------- >via dolorosa(写真付) 2004.09.29 Wednesday
イスラエル -足跡-
イスラエルにあるキリスト関連の有名な場所の中でも
あまり観光客がいなかった場所が多数ある。 そこで一番印象に残ってるのが オリーブ山にある “昇天教会” である。 ここには磔になり亡くなった3日後に復活し、 40日後に昇天した際のキリストの足跡がある。 話を聞くだけでものすごい話ではあると思う。 ただ観光客は興味がないのか扉すら閉まっていた。 うろうろしていたら、 管理人らしき人がやってきて扉を開けてくれた。 そしてキリストの“足跡とやら”を眺めた。 2004.09.29 Wednesday
イスラエル -門-
エルサレム旧市街は端から端まで歩いてもほんの数キロメートルである。
その旧市街は城壁に囲まれ8つの門によって守られている。 さらに内部はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、アルメニア教徒地区の4つの地区があり 門はそれぞれの地区と外部とを結ぶ大切なものである。 また地区ごとにその門の様子も異なり その中でもイスラム教徒の地区のダマスカス門は一番庶民的で 賑わいを見せていた。 この歴史あるエルサレムのダマスカス門 いったいどれだけの人が どんな思いでこの門をくぐってきたのだろうか。 2004.09.29 Wednesday
イスラエル -最後の晩餐-
エルサレムにはキリスト関連の有名な場所が数多く存在する。
あのレオナルド・ダ・ビンチが描いた名作 “最後の晩餐” この絵の舞台になったまさにあの場所もある。 ただ、なにもないごく普通の部屋。 机もなければ、椅子もない。 せっかく名作で有名な場所なのだから 少しくらいの演出をしてもいいと思う。 2004.09.28 Tuesday
イスラエル -観光客-
日本では、かなり調べないとイスラエル旅行を主催している旅行会社はないかもしれない。
もしかしたらないかもしれない。 言うまでもなく、添乗員付きの団体旅行なんてきっとないと思う。 ただこんなご時世でも 街自体が世界遺産であるエルサレムへ添乗員付きの団体旅行でやってくるたくさんの人がいる。 東南アジア系の団体、ブラジル人の団体客、 そして中華料理屋に行けば、子供連れの中国の団体が和気藹々と旅行先での食事を楽しんでいた。 ものは考えようなのか? 2004.09.27 Monday
イスラエル -日本人-
イスラエルに行く日本人
どんな人が行くんだろうと思っていた。 実際テルアビブへ飛行機で入る人は 予想通りほとんどいなかった。 成田からエルサレムの泊まる宿が近くということで とある映画監督と一緒になった。 その監督はドキュメンタリー監督だった。 すでにアラブ側(ヨルダン、シリア等)でPLOの幹部などのインタビューは取ったあとだったらしく 最後イスラエル側での取材ということだった。 また アンマンにあるクリフホテルに滞在すると たくさんのイスラエル行きの日本人に会う。 目的はわからない。 ただなにか惹かれるものがあるんだろう。 その気持ちとてもよくわかる。 2004.09.26 Sunday
イスラエル -聖地-
・イスラエルがヨルダン川西岸で車両を攻撃、武装組織幹部ら死亡(ロイター) (14日8時8分)
・<イスラエル軍>空爆で武装組織幹部ら3人殺害(毎日新聞) (14日10時24分) ・ヨルダン川西岸の検問所近くで自爆攻撃、3人が負傷(ロイター) (14日15時29分) ・イスラエル軍が過激派掃討作戦、パレスチナ人10人死亡(ロイター) (16日9時9分) ・ガザ空爆、ハマス幹部死亡 数人が負傷(共同通信) (20日7時44分) ----------------------------------------------------------------- イスラエルに滞在中に起きたテロや空爆のニュースだ。 これらは日本に帰ってきてから調べたものだ。 イスラエルに滞在中 いたって平和に感じた。 パレスチナ自治区であるベツレヘムにも行った。 イスラエルとのボーダーはイスラエル軍が管理していて大渋滞が起こっていた。 特に緊迫感のようなものはまったく感じない。 軍服を着ている者が、交通整理をしているようにしか感じなかった。 だが現実は空爆、テロなどにより何人も日々亡くなっていた。 アンマンのホテルにおいて数多くの日本人がイスラエルの国境を越えに行く姿も見た。 日本に帰ってきてこれらのニュースを見てとても違和感を感じた。 例えるなら 台風の目の中にいる心境だろうか。 イスラエル到着前はテロの心配ばかりしていた、バスは乗らない、レストランや人の集まるところには行かないなどなど。 到着後はそこが台風の中であることを忘れるくらい穏やかだった。 そこにはイスラエル国民の生活が普通に存在した。 そしてユダヤ人は新年を祝い、 観光客はその姿を見ていた。 キリストの十字架を背負って歩いた道ではユダヤの子供がサッカーをし、すぐ近くの旧市街北側ではイスラム教徒がなつっこく商売をしている。 外国人は迷路のような旧市街を散策し2000年前にタイムスリップしている。 そんな世界遺産である街エルサレムを有するイスラエル。 そこには どこの都市にでもあるような “普通の生活”が存在していた。 |