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ヨルダン | 旅音
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2004.11.02 Tuesday
ヨルダン -クリフホテル(アンマン) vol.2-
以前にもこのblogにて紹介したヨルダン -クリフホテル-
ご存知の通りまたイラク人質事件の舞台になってしまった。 ここに一度でも泊まったことのある人ならわかると思うが また泊まったことのない人には理解し難いだろうが、 きっと今もなおイラクに向かっている日本人がこの宿を拠点として旅立っていることだろう。 星の数ほどあるアンマンの安宿街で あえてこの宿に泊まる目的。 それはイラク、イスラエル、シリアに行く情報を収集し、 一緒にいく仲間を見つける。 それこそがこのクリフホテルに泊まる最大の理由だからだ。 このクリフホテルや近くのファラホテルの情報ノートには イラクに関する情報が山のように書かれている。 そしてその大半は日本語によって書かれている。 要するに日本人が日本人のイラク渡航者に対して書かれているのだ。 また親切丁寧に イラクまでのタクシーなどの相場からバグダッドの物価、そしてバグダッド市内のホテルに関する情報、8時以降は外に決して出ルベカラズ的なことまで びっしり書かれている。 そして中東バックパッカーとしてある程度修羅場や危険な目をくぐりぬけてきた者として、これらの情報を得た結果“なんとかなる”という結論に至ったのであろう。 また イスラエルを通過して来たというのもイラクに行く決断を下した要因であると思う。 日本のニュースや新聞を見る限り、ほぼ毎日のようにイスラエルでは空爆や戦車突入、自爆テロなど戦争のような報道がされている。 ただ実際はそこまで危ないと感じたこともなければ、普通に市民は生活をしている。子供は外で遊んでいれば、ユダヤ人とアラブ人が普通に買い物をしている。正直危ないと感じたことはほとんどない。 これらさまざまな判断材料から イラクに行ったのだと思う。 きっと自分は大丈夫だと思って。 同じ中東を回ったバックパッカーとしての疑問もいくつかある。 ・なぜよりによってイスラエル出入国の再スタンプを拒否しなかったのか? ・なぜイラクによりによって一人で行ったのか? [クリフホテル入り口]ここの3階部分が宿になっている [情報ノート]ファラホテルの情報ノート 2004.10.04 Monday
ヨルダン -コーラン-
イスラムの国に行くと
毎日街じゅうに “コーラン”が流れる。 街じゅうのざわめきを打ち消すくらいの大音量で流れる コーランは日本では味わえない とても情緒があるものだった まさに“異国”である。 ただ長い間イスラムの国にいると そういったこともまったく思わなくなる。 まさに日常として受け入れるようになる。 また逆に日本でコーランを聞かないことが不思議な感覚にすらなる。 2004.10.04 Monday
ヨルダン -ラクダ-
ヨルダンに限らないが
中東やアフリカに行くとラクダに乗る機会がよくある。 ただ基本的には絶対乗らないようにしている。 たいていはじめに言った値段と違ったり なんくせつけてくることがよくある。 日本円にしたら美味たるものだが 納得いかないものにはお金を払いたくないし 余計なところで体力を使いたくないので 乗らない。 ただ ラクダ 普段日本で見るものではないから どうしても 近寄ってしまう。 あの間の抜けた顔がどうしても近くでみたくなる。 2004.10.04 Monday
ヨルダン -ペトラ-
アンマンから約250km南
数少ないヨルダンの世界遺産 ペトラ遺跡がある。 インディジョーンズ最後の聖戦の舞台にもなり その歴史はまさに映画のまま 長きにわたり 失われた国であり、忘れられた国であった。 そしてこの“ペトラ遺跡” 下記写真は“ペトラ遺跡”ではなく “いち宝物殿”にすぎない。 要するに ペトラは遺跡群であった。 その遺跡群はいままで数々の遺跡を訪れたが そのなかでも群を抜いて広大で 過酷だった。 入り口から遊歩道〜そしてシークと呼ばれるがけの隙間を縫って約2kmで 写真のエルカズネに到着する。 そこまでは切り立ったガケに感動し古代ロマンに浸る。 ただ問題はそこからである。 なにもさえぎるもののない広大な砂漠等をひたすら歩き 遺跡を巡っていく。 そして最後のエドディルまではおよそエルカズネからはおよそ1時間30分以上かかる。 そこまでくるともう遺跡などどうでもよくなる。 ただゴールを目指して歩くマラソンランナーの心境である。 ホントつらい。 こんなに辛い遺跡 訪れるならもっと若いうちに訪れるべきだった。 2004.10.03 Sunday
ヨルダン -ヨルダンの死海-
“ヨルダン”と聞いて
パッといくつも見所を言える人はあまりいないと思う。 今回旅に行くときに知り合いに 「ヨルダンって危ないんじゃない?」 「ヨルダンって何があるの?」 とよく言われた。 まずヨルダンは中東一安全な国と言われているほど安全である (中東自体どうかとも思うが・・) 別に内戦をやってるわけでも紛争があるわけでも 街に戦車が走ってるわけでもなく 普通のイスラム国家である。 ただ、イスラエルやイラクと言った日本の新聞の紙面を賑わしている国に挟まれているというだけで、 ヨルダン自体はとても安全である。 またヨルダンは思っているより物価が高い。 高いと言っても日本やスイスや北欧ほど高いという意味ではなく 周りの中東やアジアなどの国にくらべたら高いという意味である。 ヨルダンと言って もっとも有名な見所は なんと言っても インディジョーンズ最後の聖戦の舞台となった ペトラ遺跡と “死海”である。 死海はイスラエルとヨルダンの国境に位置し 塩分濃度は普通の海水の約9倍 20分以上入っていると体に悪いと言われている。 長さ75km、幅15km、深さ400mあり、海抜は-400mで世界で最も低い。 実際に行くとわかるのだが 対岸のイスラエルはすぐそこである。 ヨルダン側の死海はあまりリゾート地化しておらず 人もまばら、まだまだ人の手が入ってないという印象だった。 数少ないヨルダンの観光資源の死海でさえ 開発化する感じもなかった。 度重なる中東戦争の結果 もともとの領土エルサレムを失ったばかりか 死海の沿岸まで追いやられ さらに リゾート地化されたイスラエル側の死海沿岸と違い 閑散としたヨルダン側 また戦争もしてないのに安全なイメージが定着せず どうしても一般観光客に敬遠されがちなヨルダン また湾岸戦争もイラク側につき国際的に孤立もし、 国際社会のイラクへの経済制裁のおかげで 輸出の20%以上をイラクに頼っていたヨルダンの計り知れないダメージ。 さらに中東において数少ない 石油の産出ができない国。 それでもがんばっている そんなヨルダンを 応援せずにはいられない 2004.10.01 Friday
ヨルダン -クリフホテル-
“クリフホテル”
このホテルの名を聞いて 中東を旅したことのある人なら必ず反応するに違いない。 最近では 日本人人質事件の舞台ともなったこのクリフホテル。 シリア、イラク、イスラエルへ数時間でいける ヨルダンという中東旅行の拠点となりうる立地条件。 アンマンの中でも安宿が集まる ダウンタウンの一等地。 そしてなにより 一泊約400円前後というこの値段。 常にバックパッカーで賑わうこのホテルは 多くの日本人に愛されてきた。 正直このダウンタウンにもっといい設備の整う綺麗なホテルはたくさんある。 だが日本人はこのクリフホテルに吸い寄せられてくるのだ。 そしてこのホテルで翌朝同じ旅へ向かう旅人を探し 床につく。 さらにこのホテルには他にはないほどの情報が集まってくる。 ほとんどがイラク・シリアビザ・イスラエルに関することだが 大変鮮度のある重要な情報ばかりだ。 だが泊まって思った。 “クリフに行けば日本人がいる” 日本人バックパッカーにとって この中東の地における安らぎを求めに来ているのだと。 今までいろんな国の安宿に泊まってきた。 だが、このクリフホテルは他にはない独特なものを感じた。 |