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ポーランド | 旅音
2006.04.10 Monday
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2006.01.15 Sunday
ポーランド -戦災を免れた街:クラコウ(クラクフ)-
ポーランドのクラクフは
ザモシチと並び数少ない戦災を免れた街として有名である。 他の主な都市に至ってはほとんどが50〜100%が破壊され 全人口の6分の1が亡くなっている。 そんなクラクフは中世の街並みも残り 綺麗な教会やお城が残されている。 またシンドラーのリストで有名な オスカーシンドラーの容器工場があったことでも有名である。 ただ80%が徹底的に破壊されたにも関わらず 生き残ったポーランド人の記憶や絵などによって よみがえったワルシャワの方が ポーランドの不屈の歴史を象徴している “ポーランドらしい”街であると感じる 英語がほとんど通じない そんな不屈のポーランド人のアイデンティティを感じることこそ ポーランドを旅する醍醐味であると実感する。 2006.01.15 Sunday
ポーランド -アウシュビッツ第2(ビルケナウ)-
アウシュビッツ第一収容所から3kmのところに
ビルケナウ(アウシュビッツ第二)収容所がある。 その大きさは第一とは比較にならないほど広大で 無限に整然と並ぶバラックの数々。 人の生活感などあまり感じられなかった。 まさに絶滅へ最大限に効率化された巨大工場という印象だけが残る。 鉄道引き込み線と物見棟 映画『シンドラーのリスト』においても印象的な場面として映し出されている 鉄道終着地 ここで働ける者とそれ以外を選別した バラックがおよそ300棟以上建っていた 同時に10万人以上が収容 ビルケナウ収容所のバラック内部は当時の生活のまま残されている 2006.01.15 Sunday
ポーランド -アウシュビッツ第1(オシフィエンチム)-
ポーランド南部の古都クラクフからバスもしくは列車で1時間30分の場所に
オシフィエンチム(ドイツ名:アウシュビッツ)がある。 終戦までこのアウシュビッツ第一収容所で28の民族の約150万人以上が収容され9割以上がここで命を落とした。まさに歴史上最大の殺人工場がそこに存在した。 ※1 アウシュビッツ第二収容所(ビルケナウ)で110万人以上 ※2 全収容所で約1100万人以上 アウシュビッツの建物一つ一つは展示室になっており 当時の収容所の生活やナチスドイツ軍による犯罪が生々しく展示されいる。 また死のブロックと呼ばれる11号の建物の地下には当時のままの 立ち牢、餓死室、移動絞首台などが残されている。 後にヨハネ・パウロ二世により聖人の称号を与えられたマキシミリアノ・コルベ神父は他人の身代わりにこの餓死室に入っている。 このアウシュビッツを訪れて何も感じない者はいないだろう これはドラマや映画でもなくまさに現実なのだと。 アウシュビッツは事実から60年経った今においても 施設全体から重い言葉で訪れる者に語りかけている。 ホロコースト事態を否定する動きもあり、 また第二次大戦中のナショナリズムや民族アイデンティティなど 多くの論議も必要である。 ただこの場所で何かが起こったことは間違えないことを 施設全体から感じることができる。 まず何より“人類”としての生命の尊厳を感じるべきだと思う。 しかし現在に目を向けると、ここで主に殺害された同じユダヤ人が 現在イスラエル西岸、ガザ地区でパレスチナ人に対して行っていることが とても理解に苦しまざるを得ない。 ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる) 収容所と外界を分ける高圧電流線と監視塔 建物ごとに28の民族を収容 左はSS(ナチス親衛隊)管理局・病院 死の壁 ガス室・焼却炉 アウシュビッツ収容所所長 ルドルフ・ヘス絞首台 |