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旅音 〜旅と音の人生〜
ペルー | 旅音
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世界遺産 -ナスカとフマナ平原の地上絵(ペルー)-
果てしなく続くペルー南部の乾燥地帯に描かれた謎の地上絵。紀元後、約800年にわたって栄えたナスカ文化の時代に描かれたこれらの絵は、直線や幾何学図形、動物、魚、虫、植物などさまざま。上空からでなければ分からないほどの巨大な絵を残した理由は、未だに解明されていない。 ナスカ文化は地上絵に見られるように、高度な技術と豊かな絵心を持った人たちがたくさんいたと考えられる。その証拠に、ナスカの織物はプレ・インカ文化のなかでもとりわけ美しく、土器に描かれた抽象画ひとつとっても、ナスカ時代ならではのものが多い。
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リマからバスで約7時間
平原のど真ん中に小さな街イカがある。
そう、いわずと知れたナスカの地上絵の拠点の街である
イカにある空港から
セスナに乗りナスカの地上絵のメインの約10〜15個ほどを遊覧飛行する。

・宇宙からのメッセージ
・ナスカ人の謎の・・・
・世界七不思議
・・・etc
などミステリアスなイメージのあるナスカの地上絵
何を物語っているのか理解はできない
それは
まさに実際に見た人の“想像力”にまかせるのが一番であると感じた。

ただ
あまり期待をしすぎないで、素直にセスナに乗り、
見たままを理解することをお勧めする。



ナスカの地上絵



こんな部屋でペルーのビデオを見せられるのです



セスナの内部の様子
| ペルー | 00:51 | comments(0) | trackbacks(1) |
ペルー -宿沖縄とペンション西海(リマ)-
アメリカを北から南に縦断している人にとっての
南米の玄関口

ペルーのリマ

北米や中米と比べると人も、街の雰囲気も、危険度も変わったことに
肌で感じることができる。

そんなリマの街にかつて日本人バックパッカーの聖地であったとも言うべき
ペンション西海という宿がある。

しかし今は宿沖縄へ人気が移ってしまった。
理由は
ペンション西海が悪いわけではない
治安が悪い、いや悪すぎたため
地球の歩き方から削除されてしまったのが大きな原因である。
入り口もわかりづらく、西海の周辺の雰囲気は“最悪”そのものである。
タクシーできた日本人が呼び鈴押す間に強盗に遭うこともしばしばである。
そんな西海から人気を引き継いだのが
宿沖縄である。

この宿沖縄のある場所もリマの中でどちらかというと治安は悪い
夜はとてもじゃないけど外にでる気にはなれない

ただ西海より“まし”という理由で日本人が集まるようになったと思う。

しかしそんな危険地帯にある西海に今でも日本人が行く理由がある
地球の歩き方からも削除され場所も調べないとわからないような
この宿の特徴
それは
“食事”である。
その食事は絶品で
いまだに西海の食事のおいしさが忘れられず
なぜか宿沖縄の情報ノートには西海のその日の食事のメニューまで載っている。

リマに行ったら失礼だが
宿は沖縄
食事は西海
是非試してみてはどうだろうか

| ペルー | 00:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
世界遺産 -クスコ市街(ペルー)-
15世紀、世界最長の大山脈アンデスに、謎の巨大国家が出現した。アンデス一帯に君臨した「太陽の帝国」インカ。4,000メートル級の山々に囲まれて、インカのかつての都クスコがある。インカの言葉で「へそ」を意味するクスコ。そこは文字通り、「帝国の要」であり、「世界の中心」だった。
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この標高3500メートルの街全体が世界遺産であり、インカ帝国の栄華の石垣の上に侵略してきたスペイン風の建物が建っている。

街全体の世界遺産という場所は
どこにも言えることが
街の統一感である。
協会などメインの建物はもちろん
一般の人が生活している建物一つ一つ、
物、そして街の人ひとりひとり全部の統一感である。
実際に長期生活するとわからないのかもしれないが
外からくる人にとって
その統一感に圧倒される。
インカ帝国の栄枯盛衰を見てきたクスコ
歴史に翻弄されたそんな世界遺産の街に居ることに
自分も世界遺産の一部になった気になった。







| ペルー | 00:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
世界遺産 -マチュピチュの歴史保護区(ペルー)-
1911年、アメリカの考古学者ハイラム・ビンガムに発見されるまで、マチュピチュは400年の眠りについていた。16世紀、スペイン軍によって最後の日を迎えたインカ帝国の都こそ、このマチュピチュ…そんな仮説が今は一般的だ。
でもマチュピチュはそれだけの都市ではない。その構造に不可解な点が多すぎるのだ。まずこの都市を形成する石組みである。完璧に製材された20トンクラスの巨石はカミソリの歯も通らぬほど堅牢に組み上げられている。さらにこれらの巨石をどうやって標高2720mの地に運び上げたのか?その技術は未だに不明。
またマチュピチュの聖山ワイナ・ピチュさえも、実は人工的に造られた山なのではないか?という説もある。古代文明にまつわる数々の伝説は今日もマチュピチュを取り巻いている。

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ユーラシア、アフリカ大陸の世界遺産を回り
なぜか自分のなかでも“とっておいた”南米大陸
そしてその南米大陸一、いや世界一
世界中の人を魅了している世界遺産
マチュピチュへようやく足を踏み入れた。

想像通り
いや
想像以上の光景に
自分の中で目の前の光景を理解するのにかなり時間を要した。
拠点となる街クスコに滞在中にも
インカ文明の力を嫌というほど見せ付けられるものを見てきたが
マチュピチュに到着して完全にインカに魅了されてしまった。
インカ帝国はカミソリ一枚も通さないといわれる石材建築の技術は持っていましたが、文字と車輪は持たなかったといわれてる。
(ただキープと呼ばれるロープによって情報を記録し、キープはチャスキと呼ばれる飛脚によってインカ道を駅伝のように運ばれていた。)

その為インカの建築に関する手段、方法などは謎に包まれている。
もちろんマチュピチュについても謎に包まれている。
寡黙にその歴史を伝えている
その寡黙さも訪れた人に想像力を働かせ、魅了させている一因でもあると感じる

インカの子孫である現代のクスコの人たちも、その
尊敬すべき祖先にならって寡黙な人が多いと感じた


見張り小屋からのマチュピチュの全景


ワイナピチュからのマチュピチュの全景




アグアス・カリエンテス駅からマチュピチュまでのシャトルバスの中の様子
| ペルー | 01:44 | comments(0) | trackbacks(2) |