2006.04.10 Monday
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2004年10月の記事 | 旅音
2006.04.10 Monday
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2004.10.31 Sunday
世界遺産 -メンフィスとその墓地遺跡(エジプト)-
メンフィスとその墓地遺跡=ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯
----------------------------------------------------------------- 世界遺産の象徴であるピラミッド なにも言わずに ひたすら眺め続けたい。 この姿 今まで何人の人が見たのだろうか ナポレオンもクレオパトラも この姿 目に焼き付けたに違いない。 そんなことを考えて見ていると ピラミッドの大きさ以上に 歴史の重さを感じる。 2004.10.27 Wednesday
世界遺産 -タージマハル(インド/アグラ)-
22年間かけて造営されたいとしい妻への記念碑
正確無比なシンメトリーが美しいパレス風の建物。実は宮殿ではなく霊廟である。つまりおハカ。ムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが、亡くなった王妃のために1632年から22年の歳月をかけて造営したものだ。腕利きの職人を集め、のべ2万人が携わったというから、当時としては大国家事業。これぞ夫から妻へ捧ぐ愛の記念碑なのだ。 愛の代償は幽閉。 シャー皇帝の予想外の末路 しかし、この美談には続きがある。皇帝は晩年タージマハールの向かいに黒大理石の宮殿を建てようとしていたが、その矢先に第3皇子によって近くのアグラ城の塔に幽閉されてしまうのである。理由はタージマハール建築での莫大な浪費。結局皇帝は塔の中から7年間タージマハールを眺め、その生涯を閉じた。運命とは実に皮肉で残酷である。 ----------------------------------------------------------------- タージマハル 言わずと知れたインドにおける世界遺産の代表である。 インドの世界遺産の代表だからこそ それなりの値段をとられる。 外国人とインド人の入場料金が違う世界遺産はよくあるが 50倍近く現地の人よりとられる世界遺産も珍しい。 また2つのゲートでボディーチェックを受けようやく タージマハルを拝むことができるのだ。 こういった世界遺産といえば ありがちなのが“イルミネーション”である。 ただタージマハルは夜には消灯して 真っ暗になる。 パキスタンと準戦時体制中であるインドは 明かりによって数少ない観光資源としての“タージマハル”を守っているのだ。その為にゲートでも2度に渡るボディーチェックも行う。 タージマハルは 写真の通り 水と緑に囲まれている。 その中心に荘厳に建つ白亜の姿に言葉を失う ゲートの外とはまるで別世界で まさに天界である。 インドの街の喧騒を忘れ 心落ち着く場所だった。 言うなれば インドの“有料オアシス”である。 2004.10.26 Tuesday
世界遺産 - サンタマリアデッレグラッツェ教会(イタリア/ミラノ)-
世界遺産とは
世界中のあらゆる地域には、国や民族が誇る文化財や自然環境があります。 世界遺産とは、現代を生きる世界のすべての人びとが共有し、 未来の世代に引き継いでいくべき人類共通の宝物のことです。 そこには、国境という概念はありません。自国の文化と歴史を愛することは、 他国の文化と歴史を理解し、尊重することへとつながっているからです。 たとえばエジプトのピラミッドは、エジプトに暮らす人びとだけではなく、 私たち日本人を含む人類全体にとって同様に大切な文化遺産です。 異なる文化にも理解を深め、遺跡や文化財が生まれた背景や歴史を学び、 自然の素晴らしさから受ける感動を多くの人びとと分かち合う。 世界遺産活動を通じて私たちは、地球環境の保全はもちろん、 世界平和の大切さを学ぶことができると考えています。 世界遺産をいくつか周ってきて上記の内容には共感する点が多い。 また、この共感は世界中の人が感じることだと思う。 きっとピラミッドの前に立った時、イスラエル人もパレスチナ人も宗教の壁、言語、地域、人種の壁を超えて同じ感動を受けると思う。 そんなことを考えた時、世界遺産は“人類共通の宝物”だということを実感する。 ----------------------------------------------------------------- ここの教会(旧修道院)の横にある食堂の壁にあの有名な壁画、レオナルドダビンチによる最後の晩餐が描かれている。建物(食堂跡)は最後の晩餐ともう一枚描かれており、この建物には他にはなにもない。ただ10分間ひたすら見るだけになっている。 世界的に有名な絵画を“自分の時間”で見るために予約制になっており、 事前予約がなければ行っても見学はできない。 同じダビンチの作品でも 人ごみを押し分けて鑑賞する パリのルーブル美術館にあるモナリザとはえらい待遇の違いだ。 そう 最後の晩餐は ひたすら見るだけなのだ。 10分間という時間 ひとつの絵を見るということにはとても違和感があった。 ただその分 自分にとって忘れることのできない“時間”となった。 2004.10.26 Tuesday
ドイツ -ローテンブルク-
ドイツローテンブルクは
第二次世界大戦では空爆の犠牲となり、町の40%以上が破壊されました その後全世界からの大がかりな寄付援助により再建復興が行われ、ローテンブルクは現在ほぼ完全な形で中世の町並みが再現されています。 壊れたものを元に戻す精神。 市庁舎のてっぺんからみた風景は 日本の戦後とは大きく違っていると感じさせられるものだった。 2004.10.21 Thursday
ドイツ -キノコの家-
ドイツのローテンブルクは
フランクフルト空港とミュンヘン空港のちょうど中間地点に位置し、 ロマンチック街道、古城街道の中継地である。 分厚い城壁と門で囲まれる中世都市の景観 中世の雰囲気あふれる広場 と街を歩くだけで これだけ中世へタイムトリップできる街はない。 そんな中世の街並みのローテンブルクに 同化するようにあったキノコの家 違和感があるようで とても同化している 不思議な場所だった 2004.10.20 Wednesday
ドイツ -思い出に残る場所-
このブログをはじめて3ヶ月弱ほど経つが
ドイツについて書いたことがなかった。 そんなドイツで 一番思い出に残ってる場所が ローテンブルグにある クリスマスのお店。 あまりお店で写真なんか撮ることはないが ここはあまりにすごすぎて 何枚もシャッターを押した。 2004.10.18 Monday
旅 -旅人の習性-
イスラエル、ヨルダン、トルコから帰国して約1ヶ月が経った。
旅をする者の習性として 次の旅をいろいろ考えてみる。 次はどこ行こうか。 東欧かアフリカか中央アジアか中南米か。 世界遺産の番組や本 旅行系のページを何気なくみてみる。 やはり行ったことのない国は魅力的だ。 こんなことをしている時も 意外に面白かったりする。 まさに “旅をしつづける習性” だと自覚する瞬間だったりもする。 2004.10.09 Saturday
トルコ -イスタンブールの釣り人-
イスタンブールに到着して
明らかに他の都市と違うのは “釣り人”の多さである。海の恵みを十分に受けた このイスタンブールならではの光景であった。 中東を北上してきて 最後イスタンブールで こののんびりとした釣り人達を見て なにか癒された感があった。 イスタンブール アジア側の釣り人 イスタンブール ヨーロッパ側の釣り人 2004.10.08 Friday
トルコ -交差点(イスタンブール)-
世界を回ってきて、個人的にイスタンブールほど街の風景が絵になる都市はないと思う。
はじめてイスタンブールという都市を意識したのは 007のロシアより愛をこめて、おなじく007のワールド・イズ・ノットイナフを見た時からだった。あの街並に海峡、モスクがとても印象的だった。 新市街地のヨーロッパの雰囲気の街並みがあったかと思うと、橋を渡るとイスラム色の強い巨大なモスク群、迷路のようなエジプシャンバザール、グランドバザールではアラブな商売をする声が響く。 まさに映画のままの光景。 “文明の交差点” “東西の交差点” “アジアとヨーロッパの交差点” とかく“交差点”という言葉が似合う。 こんな多文化が見事に融合した都市。 一度は訪れてほしいと思う。 2004.10.08 Friday
旅 -出会い-
自分の旅の最大の楽しみは
その土地に住む“人”とのふれあいである。 その国々によって日本人である自分を見たときの反応が極端に異なる。 ヨーロッパの人はたいてい自分をみても 日常の者として無反応である。 東南アジア人やアラブ人は 怪しい日本語を駆使して商売をしてくる者 本当に親切な者などさまざまいて面白い。 ついさっきまで本当にいい人だと思っても裏切られたりすることもそういった国ではとても多い。 今回、中東を旅してきて “子供”だけは ユダヤの子もアラブの子もトルコの子も屈託のない笑顔で 元気に“ハロー!”“ヤパーニ!”と旅人を迎えてくれた。 カッパドキアでスルタン人形を売る子供 カッパドキアの幼稚園の子供 エルサレムのユダヤ人地区の子供達 |