2006.04.10 Monday
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2005年05月の記事 | 旅音
2006.04.10 Monday
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2005.05.29 Sunday
チベット -青-
チベットの空は青い
期待通りの青さ そして期待以上の青さである。 チベットほど 空を中心に撮り続けた場所はない。 格別の青さだ。 2005.05.29 Sunday
チベット -チベット仏教-
旅行をしていて
各国の旅行者と話をするとき よく出る話題が『宗教』である たいてい自分も含め日本人は気まずい思いをしたり なぜか説教されたりすることが多々ある。 確かに 宗教を生活の軸としていない国は まずない。 ただ 彼らは一体なにを 一心不乱に祈り続けるのだろうか 日々の健康? 神に近づくため? 豊かに暮らすため? 2005.05.29 Sunday
チベット -チベットの子-
チベット文化の担い手であり
チベットの未来を担っている チベットの子供達。 中国の文化の流入がはげしく文化が失われようとしている今こそ これら子供達には 世界中からの期待が寄せられている。 チベットが独立できるか どうかは自覚はあまりないかもしれないが 彼らにかかっているのは間違えない。 2005.05.29 Sunday
ネパール -世界の尾根-
チベット名チョモランマ(神々の母)
ネパール名サガルマータ(大空の頭) と呼ばれる世界の尾根 雲から突き抜けた8848mの頂は どちらの名前にも異論が出ないほど 威風堂々と確かに存在していた。 測量局長官の名からついた英語名エベレストではなく 間違えなくチョモランマやサガルマータという名が ふさわしい。 2005.05.23 Monday
チベット -free tibet-
1950年の中国人民軍の進行・占領以来
120万人以上のチベット人が死亡し 10万人以上のチベット人民の難民が生まれ 6000カ所以上のチベット仏教寺院が破壊され、 数え切れないほどの美術品やチベットの文化遺産が破壊された。 そしてチベットのアイデンティティを消滅させるべく 現在ではチベットの人口はチベット人より漢族の方が多くなってきてる。 1997年に観たセブンイヤーズインチベット 1999年チベタンフリーダムコンサートやなどで 興味をもちいつかは行きたいと思っていたチベットの地をようやく踏んだ。 正直チベットに行った感想としては“幻滅”の一言だった。 特に中国の地方都市の一部となってしまったチベットの首都拉薩は チベット文化を感じさせるものはいまとなってはとても少なくなっている。 また中国文化の流入により貧富の差もはげしく 街には貧しい子供、や僧侶などが溢れている。 その前の店では“0”の数が2桁〜3桁も違うような食事を普通に食べているチベット人もいる。 世界中の人が声をあげている “FREE TIBET”は 当事者であるチベットの人には人事のように感じているという印象を持ってしまった。 2007年には鉄道も完成し現在以上にチベットのアイデンティティは完全になくなっていくだろうと実感せずにはいられなかった。 きっとチベットが中国の自治区ではなく独立国として独立し、 文化も国旗もダライラマ14世の写真が堂々と掲げられることはないように思う。 悲しいが“FREE TIBET”を声を高らかにあげて独立するパワーがチベット人民自体ににはもうないように感じた。 ただ変わらないのは 4000メートル前後のチベットの地から見る独特な空の青さと 主のいないポタラ宮くらいである 2005.05.23 Monday
ネパール -ネパールのアイデンティティ-
ネパールと聞いてどんなイメージがあるだろうか
チベットとインドにはさまれた国であるネパール 食も チベットのトゥクパとモモ そしてインドのカレーに近いダルバートがメインの食事となる 街中でも チベット仏教のグッズと ヒンドゥー教のグッズが入り混じっている そんな隣国の文化を自分達の国の文化としている 山岳民族は 他の文化を柔軟に受け入れたように 柔軟に他の国から来た旅人をとてもやさしく受け入れてくれる 人のよさは他の国と比べても際立っている それがこの国のアイデンティティだ 2005.05.16 Monday
香港 -恋する惑星の街-
ネパールに行く途中
トランジットで一泊二日ではあるが はじめて香港を訪れた。 正直香港のイメージは 『恋する惑星』 そして旅するようになってからは ラッキーハウスのイメージしかない おかげでお金も中国元じゃないと気づいたのは 香港に来てからだった。 横浜に住んでいる自分にとって 作られた夜景が横浜よりすごいと感じたのは 初めてだった。 狭い土地に無理して作った 高層ビル群の夜景は圧巻だった。 舞台となった 重慶マンションだけでなく街全体から 中国ではなく 香港は香港でありつづけていることを実感し 『恋する惑星』のような映画が作られたことに妙に納得した。 2005.05.16 Monday
ベトナム -ベトナムのパワー(ホーチミンシティ)-
1月にひさしぶりにベトナムに行った
相変わらずのベトベトした高温多湿 相変わらずのバイクや車の交通量 相変わらずの東南アジアならではのパワー 相変わらず屋台で食べるベトナム料理のおいしさ そして人の活気 日本でたとえるなら毎日が縁日やお祭りのような感じだろうか 中東やヨーロッパ、中南米など回ってきても やっぱりこのアジアの活気がなぜか一番落ち着く なにか常に起こってそうで 宿に引きこもってるのがもったいなく感じる |